堺駅前土居川
利晶の杜
内部展示世界地図
本家 小島
1532年創業。一子相伝の伝統手法で作られています。千利休も愛した柔らかな餅にぶつぶつの芥子の実がたっぷりついています。
135円
千利休宅址
屋敷跡に椿の井戸が残っています。椿の炭を底に沈めた井戸屋形は利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いています。
堺のミニチュア模型
芥子餅の試食
しました。
与謝野晶子生家跡 道路向こうまである大きな敷地だったらしい。
フェニックス通り
戦災復興土地区画整理事業で整備された日本の道100選に選ばれている。
堺山之口商店街
近くの商店街には晶子の歌があります。
宿院頓宮 住吉大社の御旅所としての神社
泉州最古の日蓮宗寺院のひとつ
千利休の師匠 北向道陳翁の墓碑、落語の祖、曽呂利新左衛門の忌碑があります。
堺では有名な昔ながらの餅
初めての出会い 味のついてないかき氷の中にくるみ餅
1562年京都大覚寺の住職古嶽宗旦が堺の一小院を南宋庵と改称したのが始まり。大林宋套は南宋庵で古嶽に参禅、後大徳寺の住職になりましたが、師の遺命により、南宗庵にはいりました。大林和尚に深く帰依した三好長慶が大林宋套を開山とし、南宋寺としました。織田信長より20数年前、堺を拠点に畿内13か国を治め天下統一したのが三好一族。堺は三好一族により繁栄をもたらされた。境内には三好一族の墓があります。
秀忠、家光の御成や東照宮が祀られている事によって家康が後藤又兵衛の槍に刺され南宋寺開山堂下に埋葬されているという伝説が残った。
唐門 屋根瓦の紋どころは三つ葉葵になっています。
国指定重要文化財の仏殿の天井に「八方睨みの龍」を見る事が出来ます。
河口慧海の像
チベットに行き仏教の原点を求めた人
薫香處
座雲亭
山内最古の建物 下層は茶席で徳川秀忠・家光の御成の旨を記した板額がかかっている。
千利休一門の供養塔
清学院
国の登録有形文化財
江戸時代から明治初期にかけて寺子屋が開かれていた修験道場。
川口慧海もここで学んだ。
表から入って小さな玄関土間、かまどのある大きな土間、日常生活の場の板の間、おもてなしにも使われる座敷、茶室とあります。
座敷には立派な雛壇がありました。
夏の陣の焼け瓦を組み入れて築造された土塀
土間の天井付近に駕籠がありました。
樹齢200年近い大きな櫨の木。
覚応寺
住職(河野鉄南)が与謝野晶子に鉄幹を紹介している。
堺市内最大の木造建築。「北の御坊」とも呼ばれ、明治4年~14年のあいだ堺県の県庁だった。
1562年創建。堺を支配した三好一族が敷地や蘇鉄を日光上人に寄進。国の天然記念物に指定されている樹齢1100年余りの大ソテツは信長おも怖れさせたという伝説もある。本能寺の変の際、徳川家康が寄宿していたことでも知られる。
1868年に起こった堺事件で切腹した土佐藩士11名の墓。堺港に上陸してきたフランス軍艦の兵に対し堺の警固にあったっていた土佐藩士が阻止しようと11名を殺害したことににフランス公使が藩士の斬刑や謝罪を要求し抗議した。
堺鉄砲の碑