川口居留地跡                           2018.3.12

明治初め、大阪開港時に、外国人居留地が設けられ、諸外国に競売されました。新風俗は川口から入り大阪に暮らす人々に多大な影響を与え、変化をもたらしました。しかし、明治32年条約改正で居留地は廃止され、大阪港より神戸港の方が良港で貿易に都合が良いことから、川口に暮らし始めた商人の多くは、次第に神戸へと移ってしまいました。商人が立ち退いた後に宣教師が入り、川口居留民の構成は大きく変化しました。

川口の居留民

川口、神戸居留地では居留民による自治行政が行われ、各国の領事や副領事を中心にあらゆる問題が討議され、解決に導かれたということです。

日本聖公会川口基督教会

明治6年に架けられた安治川橋は中央の二径間が鉄橋で、高いマストの船が航行する際、橋桁が旋回する可動橋「磁石橋」とも言われていたが、淀川大洪水で難波橋、天神橋、天満橋など流出し庵治川橋に引っかかったので危険回避のため、安治川橋は爆破された。

大坂船手会所跡

官船管理、民間商船検査を業務とする幕府老中所管の役職がおかれていた。

1620~1864まで川口にあった。1864に神戸海軍操練所に移された。

明治7年から大正15年までこの地で大阪府政が行われ、地名から「江之子島政府」と呼ばれた。

大阪市中央卸売市場

一帯は会社の作業所や事務所のようなたてものばかりで食べる處がないので市場の中に入ってみた。

市場で勤務している人に食堂に案内してもらった。安くてボリュームもありお得感満載!

600円成


河津桜が満開だった。


安治川トンネル

エレベーターで川底まで下ります。

運上所跡、大阪開港の地、大阪電信発祥の地の碑

外航船の貿易取締、関税徴収、外交事務を担当する運上所がおかれていました。五代友厚が外国館判事としてその任にあたっていました、

トンネルの中の様子

江戸時代、寺島と呼ばれた地。樹齢約300年の松があった事にちなみ松島と名を改めた。松島は遊郭として東の吉原と比較されるほどの賑わいを見せました。